「夫の目から見た第二子出産レポート」(2008/06/11)

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2008/06/11水曜日

 

第二子の出産予定日は2008/06/18(水)だった。
  
2008/06/11この日は、以前から約束していたらしいのだが、モモさんの母親が川崎のコストコで買い物をしたいとの事で、大磯から横浜まで自動車で出てくるからモモさんがコストコに同行する約束になっていたそうな。この事は事前にモモさんから聞かされていたから、別にどうということはない。
 
頻繁にとまでとは言えないが、時々横浜のIKEAに行きたいとかトレッサに行きたいとか、で横浜に出てくる場合は、モモさんが同行する事が多いようである。
 
最近では、モモさんとモモさんの母親の用事が済んだ後に、一緒に杏珠さんの保育園のお迎えに行ったりして、保育園の様子を観察もしているらしい。
 
06/11も私は、コストコに行った後にでも、一緒に杏珠さんの保育園のお迎えに行くんだろうなぁ、等と、職場で思っていた。
 
でっ、この日の17:09に私の携帯にモモさんから電話が入る、内容は「違うかも知れないけど、陣痛っぽい痛みがある、現在杏珠さんもモモさんの母親もウチにいる、これから産婦人科に電話して指示を仰ぐ」という趣旨のもの、私はこの日、残業予定だったので「残業を他の人に代わってもらう必要はあるか?」とモモさんに確認したら「大騒ぎしてスカしたら、みっともないので、産婦人科に確認してからでいい、確認した結果を再度電話する」との事で電話を切ったが、私の職場の定時の労働時間は9:00-17:30なので、早く判断しないと残業を代わってもらえなくなるので、わたし的にはスカしても良いから、というつもりで同僚に残業を代わってもらうことにした。
 
17:26に再度モモさんから電話が入る、「産婦人科からの指示はとりあえず、産婦人科まで来てくださいとの事なので、母親と杏珠さんと共に、母親の車でこれから産婦人科に向かう」との事。
わたしは、仮にスカしたとしても、病院で見てもらったほうが安心できるだろうから、その方が良いよな、と、思い、電話を切った。
 
後で聞いたのだが、この段階で既にウチを出発していて産院への道中だったそうな。
 
職場の同僚何人かと、直属の上司には事情を話して、スカす可能性はあるが明日は休むかも知れないと伝え、17:30に会社をハネて、バイクで自宅に向かった。
自宅に着いたのは17:50くらいだろうか?
私が焦っても仕方がないので、まずは冷静に物事を考えようと思った。非常に運が良い事に、たまたまモモさんの母親が付いてくれているので、安心感はあったのだが、第二子は第一子の杏珠さんの時とは、結構状況が違う、杏珠さんの生活リズムを大きく崩さないように、私が立ち振る舞わなくてはならないので、仮にそのまま出産が始まったとしても、私と杏珠さんは一旦家に戻り、杏珠さんの晩飯やらお風呂に入れなくてはならないので、冷蔵庫の中を確認して、今晩の杏珠さんの晩飯のイメージを作った後、風呂の掃除を済ませて、事前の電話でモモさんはデジカメは持ったが、ビデオカメラは持っていかなかったとの事だったので、ビデオカメラの準備をしたりして、タバコを一本ふかし、杏珠さんの時を思い出しながら、杏珠さんは安産だったが、もし、今回も同様だとしても、長期戦の覚悟はしなくてはならないだろうな、とは考えていた。
 
結局、私がウチを自動車で出発したのが18:15、産院に到着したのが18:30頃。
産院のナースステーションや分娩室、新生児室のある、2階に行き親族の姿を探すと、食堂にモモさんの母親と杏珠さんを発見。モモさんの母親に状況を聞くと「もう分娩室に入っている」というので、私は言い間違えたのだろうと思い、「えっ、陣痛部屋じゃなくて?」と確認してみると、「一旦、陣痛部屋には入ったが、直ぐに分娩室に移動した」との事。
「あれま、そんなに直ぐに産まれちゃうんですかねぇ」等とモモさんの母親と話していた。
 
そこで、一旦分娩室前に行き、扉に耳を当てて、分娩室内の音を聞き取ろうとしたが、特に赤ちゃんの鳴き声は聞こえなかったので、今しばらくは産まれるまでに時間があるのだろうと思い、食堂に戻った。
 
モモさんの母親は、杏珠さんの面倒を見ていたのでトイレにも行けなかったようで、私が到着した事により、「じゃ、私はちょっとトイレに行かせてもらいます」との事でトイレに向かった。
 
杏珠さんの妹(性別は事前に分かっていた)が産まれた時に、お姉さんになる杏珠さんの様子でも撮っておこうと思い、ビデオカメラを回し始めた。
杏珠さんは、産院という余り来たことのない(といっても、杏珠さんもココで産まれたのだが)、杏珠さんにとっての非日常的な雰囲気に少々興奮気味で、あちらこちらを探検したくて仕方がないらしい。病院という場所がら、静かにさせなくてはならないし、自由に活動させることもできないので、杏珠さんと手をつなぎ、行動をそこそこ抑制しながら、ある程度は歩かせる、という手法を取った。他の迷惑を考え極力食堂からは出ないように勤めた。が、杏珠さんは食堂から出たがり、杏珠さんの手を引っ張りながら「そっちに行ったら駄目」などと言っていたら、廊下の方から「ささおさ-ん、ささおさんのご家族のかたーいらっしゃいますかー」と声が聞こえ、杏珠さんを抑制していた手を緩め、廊下に出てみると、新生児を小脇に抱えた女性の助産師さんが立っておられたが、呼んでいたのはこの人だとは思わず、この助産師さんの向こう側にも人が見えたので、呼ばれたのはそちらの方からかもと、思っていたら、この助産師さんが「ささおさんのご家族ですか?」と言ってきたので、私は「はい」と答え、もしかして!と思ったが、助産師さんが「産まれましたよー」と発言。
私は、「えっー、そんなに早くぅ!!えっ、はやーっ!」とか言っていたら、モモさんの母親がトイレから出てくるのが見えた。驚きの余りあまり思い通りの言葉が出なかったので、とりあえずモモさんの母親に手招きをして呼んで、その姿を見てモモさんの母親も「はっ!」っと驚いたような素振りを見せ、こちらにやってきて、赤ちゃんとご対面。やはり、あれ、もう、早いわねぇ、のような発言があったと記憶している。
この段階で18:35くらい。
 
18:28に産まれたとの説明を受け、あれ、それなら私が産院に到着したと同時か、もしくは到着の少し前には産まれていたという事だ。
(後日、モモさんに確認したら、モモさんが産院に到着したのは17:45頃だったらしいので、産院に到着してから45分位で産んだという事になる。、、、、何がスカしたら恥ずかしいじゃ。。)
 
私は杏珠さんと手を繋ぎながら、回しっ放しのビデオカメラを赤ちゃんに向けてはいましたが、何しろ突然の事なので、驚きが先に立ってしまい、思考がイマイチ回っていない状態。
モモさんの母親が杏珠さんを抱きかかえ、赤ちゃんを良く見えるようにして、「アナタの妹だよ」と、杏珠さんに妹を見せてくれましたが、杏珠さんのリアクションは、あまり感情が出ておらず、赤ちゃんを見て「何じゃコレ」というような表情に見えた。
 
杏珠さんは保育園に通っているので赤ちゃんを見る事には慣れていると言えると思うが、やはり産まれた直後の、しわしわの赤ちゃんには驚いたのかもしれない。
 
因みに赤ちゃんは、この段階では泣いておらず、確か杏珠さんとの初対面の時も泣いていなかったなぁなどと思い出し、助産師さんに「泣かないですねぇ」と言ったら、「分娩室では凄く元気よく泣いていましたよ」との事でした。
 
産まれたての新生児と共に長々と廊下で立ち話をする訳にもいかないので、2-3分話したところで、赤ちゃんと助産師さんは新生児室の方に入って行った。
 
一旦、食堂の方にモモさんの母親と杏珠さんとで戻って、「いや、早かったねぇ」等と、話していて、今度は無事産まれたとなると、今度は私は杏珠さんの晩飯や、お風呂の段取りとかを考えねばならなくなる。
モモさんは、まだ分娩室から出てきていないが、出てきて様子を確認してから、一旦ウチに帰って、できる事をしてから、新生児の面会時間20:00-20:20を狙って出直してこなくてはならない。
 
モモさんが分娩室から出てきたのは18:45頃、これも杏珠さんの時と比べると赤ちゃんが分娩室から出てきてから、母親が分娩室から出てくるまでの時間がかなり短いと思った。杏珠さんの時は約30分くらいは掛かっていたと思う。
 
(産院に着いてから、出産して、後処置をして分娩室から出てくるまでが1時間とはやはり凄いな)
 
また、杏珠さんの時は、それなりに疲弊していて、ストレッチャーで、分娩室から出てきたが、今回は車椅子で出てきた。そのまま、分娩室の入り口の直ぐ横の部屋に入院という事になった。この日以前から1,2日間は出産ラッシュだったらしく(新生児室にも14名もの赤ちゃんがいた)、病室が不足していたらしく、この日モモさんが入った部屋も通常であれば診療に使う部屋なんだそうな。
 
モモさんの出産の労を労うどころか「スカしたらみっともないなんて、呑気な事を言ってる場合じゃなかったジャン」、などの言葉を交わし、早速、この日のこれからの段取りを話し合う事になる。
一旦ウチに帰って、杏珠さんに飯を食わせて風呂に入れてから、赤ちゃんの面会時間に合わせて再度産院に杏珠さんと共に来る、という事にした。
杏珠さんを車に乗せ自宅に向かう道すがら、モモさんの母親の車を幹線道路まで誘導したりしながら、自宅に到着。
この時点で、19:10くらいだったか、バタバタと杏珠さんの食事の支度をしながら「こりゃ、絶対に風呂までは入れられないのは確定だな」と、食事だけをさせて産院に再度向かうことに方針転換。
 
この段階で会社の上司に電話して、明日は休む、と連絡を入れる。
 
食事が終わって、ウチを出発できたのが、20:05で産院に到着したのが20:16、赤ちゃんの面会時間の残りは、あと4分。杏珠さんを抱っこしながら、エレベータではなく階段を駆け上がる、まずはモモさんの病室に行って、ハーハーと息を荒らしながら「風呂まで入れるなんてとんどもなかった」と言って、杏珠さんをモモさんに預けて、同じ階にある新生児室を見に行く。
 
見た感じは、杏珠さんが生まれた時に似ていると思った。杏珠さんは生まれて直ぐに目を開けて、キョロキョロしていたが、今度の赤ちゃんは目を閉じて眠っている?
新生児室には産まれてから退院するまでの赤ちゃんが産まれた順に並べられていて、産まれたばかりの、ウチの赤ちゃんは一番手前の列の一番左だった。触ったりする事はできず、ガラス越しに見るだけである。
ウチの赤ちゃんの右隣の赤ちゃんが、結構力強く泣いていたのだが、ウチの赤ちゃんは、その声にも動じることが無く、スヤスヤと眠っていた。
杏珠さんにも妹をもっと見せてやりたいと思い、モモさんの病室から杏珠さんを連れ出し新生児室前まで連れてきた。モモさん自身はまだ動くにはしんどいそうで、病室にのこった。
 
杏珠さんを抱き上げ「アナタの妹だよ」と、ウチの赤ちゃんを指差して見せたが、特に自分の妹には関心を示さず、新生児室全体を見渡して、15名くらいの赤ちゃんたちを見て不完全な発音ながらも「アカチャン」と言っていたみたいだ。
その後、直ぐにアカチャンにも飽きたのか、抱っこを嫌がり歩きたがって落ち着かないので、モモさんの病室に連れて行き、モモさんに杏珠さんを預けて、モモさんの病室に置いてあったビデオカメラとデジカメを持ち出して赤ちゃんの撮影をした。
 
産まれたての赤ちゃんは特に動く訳でもないから写真でも良いのだが、杏珠さんが産まれるからと、杏珠さんの産まれる直前に、このビデオカメラを手配して、杏珠さんが産まれてから、新生児室での杏珠さんの様子を結構撮っていたので、私やモモさんにとって写真で充分ジャン、と思える事でも、後々、杏珠さんの時に比べて明らかに動画の量が杏珠さんに比べて少なかった場合、、、、微妙な気分になるのではないかと思い、極力動画を撮る努力はしようと思う。努力はしても杏珠さんの面倒を見るという事との両立なので、結果としては少なくなるとは思いますけどね。
 
余談ですが、私自身が上に兄、下に妹、という3人兄弟の真ん中で、子供の頃のアルバムを開くと、兄は親にとっては始めての子供なので写真が多い、第二子の私は、親も慣れたのか飽きたのか、兄に比べると写真が少ない、第三子の妹は始めての女の子という事もあってか?再度親にも気合が入ったらしく、私に比べると明らかに写真が多い。
細かい分析はともかくとして、この量的な差に私が気が付いたのは小学校3、4年生頃だったと思う。当時、私は、その事を親に指摘する程の積極的な性格でもなく、自分の中で「びみょー」な気分になった事がある。もっとも、積極的に親に指摘して、笑い話にでもなるようなエピソードを作れるような子供だったら、私の人格形成なども一味も二味も違ったものになっていたのではないかと思う。
加えて兄弟の真ん中には、色々な事で、今から考えても兄弟間で理不尽な事が多く、そりゃ素直な性格には育たないわな、と、現在の自分を見ても思ったりする。。。。と、私の事はどうでも良いとして。
 
杏珠さんに対しても、赤ちゃんに対しても、出来るだけ色々な事を、均等にしてあげたいな、と、漠然と思っておりますので。
 
そうこうしているウチに、赤ちゃんの面会時間(-20:20)は終わり、新生児室のガラスにブラインドが下りてきました。
モモさんとの面会時間も20:30までなので、簡単に明日以降の段取りについて話した後に、杏珠さんを連れてウチに帰りました。
 
ウチに帰ってから、風呂に湯をためて、杏珠さんと風呂に入り、寝かし付けを始めたのが、21:30位だったかな。寝かし付けはいつもモモさんがやっているが、たまに私も参加する事があるももの、私がいると、杏珠さんは遊びモードに入ってしまう事があり結果として入眠までに時間が掛かってしまう事があるのだが、この日は若干遊びモードに入りかけたものの、結構良い子でそれほど時間が掛からず15分くらいで眠ってくれた。
 
眠ってくれたのは分かったが、眠りが深くなるまで付き合おうと、していたら私も眠ってしまい、次に私が起きたのは杏珠さんの泣き声で時間は2:00頃だった。杏珠さんは夜泣きは、たまにしかしないし少しアヤせば比較的再度寝てくれるのだが、この日は結構しっかり泣いてアヤしても、直ぐには寝なかった。
若干時間は掛かったものの、アヤしていたら泣きながら眠ったようなので、洗い物が残っていたので2階に上がり(我が家の台所は2階)洗い物をしていたら、杏珠さんの泣き声が聞こえた、が、まあ、いつものように泣きながらも寝るんじゃなかろうかと思っていたら、泣き声が急に大きくなった、瞬間、泣きながら部屋から出たな、と思い、階段を下りようとしたら、階段下に、杏珠さんが泣きながら仁王立ちしていた。
私の顔を見て、両手を上下に大きく振り、両足でジャンピング地団駄を踏みながら、大泣きしながらの猛烈抗議といった感じで、杏珠さん語で何やら大きな声で何かを言っている。最近杏珠さんはとても意味有りげな言葉や文章を言うのだが、まだ日本語になっていない杏珠さん語なので、その大半は理解不能なのだが、この日ばかりは「どぉして、私が目を覚ました時に誰もいないのよぉっ!もう、もう、もう!このバカ!!」と言っているのは間違いないと分かった。
私は「それはそれは、大変失礼いたしました」と声を掛けながら、階段を降り、暴れる杏珠さんを抱っこして杏珠さんの寝室に戻り、添い寝をしながら再々度、杏珠さんを寝かし付けた。今回は眠りが確実に深くなるまで御付き合いさせて頂き、その後、私は洗い物の残りと洗濯をして、保育園の連絡帳を書いたりしてから、杏珠さんの横で寝直したのが、4:00過ぎでした。
 
次に起きたのが7:00だったろうか?布団をたたみ、杏珠さんのオムツを代えて、朝食を与え、着替えをさせて、髪の毛を結んであげて、ゴミを出して、現在玄関周辺の改修作業をやっているので職人さん達への飲み物やお菓子を用意してから、杏珠さんを保育園に預けに行って、保育園に対して赤ちゃんが産まれた事の報告と、明日以降の杏珠さんの登園が変則パターンになる事の説明をして、私は保育園を後にした。
 
ようやくここで、昨日の夕方から、始まった第二子の誕生日が終了した感じであった。ふーっ。。

明けた6/12も色々大変は大変でしたけどね。

 



ウチの子のプロフィール
性別:女の子
誕生日時:2008/6/11 18:28
体重3356グラム
身長49.4センチ
頭囲33.0センチ
胸囲32.0センチ


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